レッド・ツェッペリンから学ぶべきこと
Classic Rock誌から。
ツェッペリンの大ボス、ピーター・グラントの元でツアー・マネージャを務めていたリチャード・コールの回想。
ライブの後ははちゃめちゃなツェッペリンであったが、仕事においてはメンバーもピーターも激しくプロフェッショナルだったとのこと。
1967年にピーターからイエロー・ページで電話番号を調べろと命じられた時のこと。
1967年にイエロー・ページなんて聞いたことなかったし、実際イギリスには無かったんだ。だから、「できない」って言ったのを覚えている。 そうしたらピーターが「できないだと?そんな言葉は二度と聞きたくない。そんな言葉は知らん」て言ったんだ。そういうことだ。仕事のために金貰ってんなら、やるんだよ。全部そんなだった。
ツェッペリンのメンバー全員が、有名になる前に何等かの仕事についていたのも、いい方向へ作用したという。
仕事は仕事、遊びは遊び。ちゃんとわきまえていた。
ジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズはセッション・ミュージシャンだった。だから朝10時に来いって言われれば、ちゃんと来る。熱望された仕事だったから、台無しにするわけにはいかない。俺たち全員が労働倫理を持ってたんだ。
1968年には音楽がどれくらいの金になるのかなんて誰も知らなかった。初めのころは金がバンドの動機じゃなかったんだ。パブでビートルズと一緒になったのを覚えているけど、あいつらもリバプールで平凡な仕事をするより、音楽で暮らせるのが楽しかっただけなんだよ。
管理人K (久保田直己)
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