初期ビートルズの逸話集
Ultimate Classic Rock誌から。
1957年から1962年にかけてのビートルズの19のウラ話から幾つか。
ポールの学校の知り合いだったジョージがクォリーメンに参加した時まだ彼は14才で、ジョンの心配のタネだった。
アート・スクールでジョンの友人だったスチュワート・サトクリフは、絵を売った金でベースを買って、ベーシストとして参加。
ハンブルグで出会ったアーチストであるクラウス・ヴアマンは、その後 'Revolver'のカバー・デザインを手がけ、さらにジョン、ジョージ、リンゴのソロ・アルバムでセッション・ベーシストとして参加。
ハンブルグ時代にリバプールから来ていたもうひとつのバンドが 'Rory Storm & the Hurricanes' で、そこのドラマーがリンゴ・スター。
1960年11月、ジョージの年齢が17才であることがばれて、ナイトクラブで働くには法的に若すぎ、国外追放。
1961年3月、ジョージが18才になったのを機にハンブルグへ帰還。サトクリフが絵に専念するため脱退し、ポールがベースに転向。
1961年の正月、大雪のロンドンで、デッカのオーディションのために一時間で15曲を録音。デッカのDIck Roweは「ギター・バンドは流行りじゃない」と拒否。その後Roweは、ストーンズもオーディションで落としている。
1962年4月10日、スチュワート・サトクリフが脳出血で死去。バンド側は3日後、ハンブルグへ向かう空港で知らされた。
4曲演奏した後、ジョージ・マーティンがメンバーをコントロール・ルームに呼び、契約について協議。何か気に入らないことがないか質問した時に、ジョージ・ハリスンが「あんたのネクタイが嫌いだ」と悪態。
ジョージ・マーティンはピート・ベストのドラムが気に入らず解雇。リンゴ・スターを採用。
管理人K (久保田直己)
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